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『シュタイナー哲学入門 もう一つの近代思想史』

高橋巌 岩波現代文庫

シュタイナー哲学についてほとんど知らないまま『なぜ私たちは生きているのか』という本を読みました。

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それでも十分楽しめましたが、シュタイナー哲学を少し勉強したくなりました。 同書で佐藤優さんがシュタイナー哲学の入門に最適、といっていたので、本書を読むことにしました。 「神秘的」なものはちょっと苦手です。 しかし「岩波」の本であることと、解説が若松英輔さんというブランドを信用しました。

神秘学と哲学はじつは裏表である、と高橋さんはいいます。 夜と昼、密教と顕教、夢と現実。

18世紀終わりから19世紀にかけてのドイツの哲学者たちが、いかに神秘学に近づいていたのかについて語ります。 カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルといった人たち。 「昼」の思想ををていねいに押さえた上で「夜」の説明なので、腑に落ちます。 まさに「もう一つの近代思想史」です。 シュタイナー哲学は夜の思想から生じてきたのです。

ところで、カントやヘーゲルの主著はいまだ読めず、もう死ぬまでに読めないだろうなあ、と悲観してもいます。 いわんやアリストテレスをや。 哲学の歴史を踏まえた読書をしていないのに、飛び飛びに哲学の本なんか読んでいいのか?とよく考えます。

高橋さんはこういいます。

 ところが、なぜシュタイナーの哲学が生まれたのか。それはニーチェがいたからだ。なぜニーチェがいたのか。それはショーペンハウエルがいたからだ。なぜショーペンハウエルがいたのか。それはカントがいたからだ……というようないい方をしていきますと、それは因果関係のように見えて因果関係ではないのです。そもそもそれではとても説明にはなっていないのです。 なぜかといいますと、歴史のプロセスというのは、一見内在的な進化を遂げているように見えながら、ぜんぜん別なところから、個人やその個人の担う歴史のプロセスに別な、いわば超歴史的な働きが作用しているからです。

「ぜんぜん別なところ」というのは「神秘的」「霊的」な世界のことだそうです。 天才は「ひらめき」と努力、という理解ではあまりにも俗かもしれませんが、なんとなくわかる気がしました。

最近、若松英輔さんの本を読みつつ「霊性」ということを少しずつ考えています。 考え方があまりに「合理的」になりすぎていたかもしれない。 神秘的な思考を導入するためのヒントがちりばめられています。

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