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『江戸の思想史』

田尻祐一郎 中公新書

 

江戸の思想を学ぼうシリーズです。
この本から読み始めたかったのですが、入手が遅れてあとになりました。
タイトルどおり、江戸の思想の通史でコンパクトにまとまっており、流れがつかみやすい。
日本史で名前だけ習った人たちの考え方が手際よく描かれています。
江戸の思想家たち、おもしろい人ばかりです。

とりわけ、中江藤樹と伊藤仁斎が気になりました。

中江藤樹は「現実の「心」に潜む自己中心性の克服」を問題にしたと田尻さんはいいます。

自分の生命の由来は父母であるから、「父母の恩徳」を思うことが大切である。その父母への愛情が「孝」である。しかし藤樹は、生命の由来を、父母から祖父母、曾祖父母、というように遡らせて、大いなる根源にまで行き着く。その大いなる生命の根源を、藤樹は「 太虚皇上帝」と名付けた。あらゆる生命はこの「太虚皇上帝」の子であって、「孝」は、この「太虚皇上帝」への恭順まで進まなければならない。

 藤樹の本領は、宇宙的な生命と自己が一体であることを「孝」において直感することにあったが、そこから、人間としての生き方や社会の規範には不変の形が定まっているのではなく、宇宙大の生命を、時代や状況の中で生かすことが大切だという思想が生まれた。

スケールが大きい。
「自分とは何か」というタコ壺的疑問は深みに入りがちです。
宇宙的生命と自己という俯瞰でこれを解決しようとする作戦か。
自力で「太虚皇上帝」という神のようなものを作り上げ、世界を構築した想像力はすごい。
キリスト教に似た感じがしますがどうなのでしょう。

さて、当時の儒教の考え方では、自分と相手の間に理解し得ない部分がある、という感覚はなかったのだと田尻さんはいいます。
そんな時代に伊藤仁斎は「他者」を発見しました。

「人」と「我」という言葉を仁斎が選んだ時(父子や兄弟も「人」と「我」の関係である)、その「人」は、私たちの言葉で言えば〈他者〉であって、自分から切れた〈他者〉とどのように繋がるのかという問題に、仁斎は向き合っている。

仁斎は「人」と「我」が繋がるために『孟子』で説かれている「四端」(思いやり、恥じらい、譲り合い、正邪を弁別する心)の拡充に求めたといいます。

 仁斎は、こう言いたいのだ──自分と相手とは、隙間なくぴったり重なり合うものではないのに、強いてそれを求めるから、愛情が憎悪に変わったり、酷薄が人々の心を支配してしまう。日常生活においてこそ〈他者〉感覚は大事なので、ある距離を保った穏やかな愛情こそが、孔子や孟子の唱えた「仁」なのである。

どうやって「他者」と繋がればいいのか。
他者との距離感をどのようにとるか。
極めて現代的で、かつ個人的にも気になる問題です。
この歳になってもまだ私には分かりません。

伊藤仁斎はもう少し掘り下げて読んでみたい。

内藤湖南によれば応仁の乱を、網野善彦によれば南北朝動乱期を境に、日本社会は大きく転換したのだといいます。
そう考えれば江戸は現代に地続きの時代。
外国思想が明治以降に導入されて大きな変化があったのだとしても、その基底には江戸時代に育まれた思想があるのだということがこの本で分かりました。
次は丸山眞男や山本七平を通しながら江戸思想を見てみたいですね。

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