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『何ものにも縛られないための政治学 権力の脱構成』

栗原康 角川書店

難しそうなタイトルだけれど『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』の語り口がパワーアップされた、アナキズムの入門書です。

「権力は今やこの世界のインフラのうちに存在する」というのはフランスの思想家集団である「不可視委員会」の言葉だそうです。

どういうことか。

私たちは電気、ガス、道路、スーパー、ショッピングモール、インターネットというインフラなしでは生きていけません。

「生きるということが、インフラをつくった国家や企業にカネをしはらうことと同義になってしまっている」というのです。

私たちは、インフラを守るために生き、働いている。

そして、インフラを保障してくれるものを支持してしまう。

しかし「革命状態」のときには、インフラなしでも何とかなると気づかされるときがあるのだ、と栗原さんはいいます。

だけどざんねんながら、それはいっときのこと。例外状態にすぎないとみなされる。なんでかというとフランス革命でもロシア革命でも、たいてい革命と名づけられているものは、あたらしい権力をたてておわってしまっているからだ。旧来の秩序はぶっこわれました。でも、このままじゃ無秩序です、いまは過渡期にすぎません。そのさきに、あたらしい秩序をつくりましょう。わたしたちがみなさんに、よりよいインフラを提供しますよと。そういって、あたらしい憲法を制定して、自分たちの権力をうちたてる。けっきょく支配だ、収奪だ。

過去の革命では、結局インフラへの欲望が立ち上がって支配してしまった。

だから、栗原さんはこういいます。

はっきりと確認しておかなくちゃいけない。あたらしい権力がたちあがった時点で、それはもう革命でもなんでもないんだと。だって、権力なのだから。真に革命的であるということは、権力なしでもやっていけるということだ、インフラなしでも生きていけるということだ。

それを踏まえてこの本では、ピョートル・クロポトキン、マックス・シュティルナー、「血に餓えたメスオオカミ」ルイズ・ミシェル、パルチザンを率いたネストル・マフノといったアナキストたちの人々の鮮烈な生き様を描きます。

みんな失敗したり、殺されたりしていきます。

だけど、栗原さんの筆致から疾走感がほとばしって、読んでいるだけでも楽しい。

革命的に生きた人たち、すげえ。

だけど、アナキストにはなれないなあ、と思いながら。

アナキストにはなれそうもないのでせめてここから勇気をもらってがんばりたい、とかぬるいことをいっていると栗原さんに怒られそうです。

この本をきちんと真に受けて、生きていかなければなりません。

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