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『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』

栗原康 岩波書店

 

漠然とアナキストの生き方にはあこがれますが、実際には引きこもりの保守主義者。

そんな私にとって、本物のアナキスト伊藤野枝の生き方はうらやましくもあるし、励みにもなりました。

 

栗原さんはアナキズムの研究者。

伊藤野枝のことはほとんど知らずに読み始めました。

伊藤野枝は「大正時代のアナキストであり、ウーマンリブの元祖ともいわれている思想家」です。

関東大震災のどさくさに恋人の大杉栄らとともに憲兵隊によって惨殺されました。

享年28歳。

 

栗原さんは伊藤野枝の墓を福岡に訪ねて、地元の郷土史家に案内されて見に行きます。

郷土史家の方は、今に至っても「この辺のひとは野枝さんのはなしをしたがらんのよ」といいます。

そして、野枝と同年代のおばあさんが「あの淫乱女!淫乱女」と叫んだというエピソードを教えてくれたのでした……

 

伊藤野枝の生涯は超高速、回りくどさがない。

そしてそれを書く栗原さんの文章も超高速なのでぴったり。

野枝は「〜じゃなくてはいけない」というものをぶっ飛ばして乗り越えていきます。

例えば「女性はよき妻でなくてはいけない」というような因習を言論でぶっ壊そうとします。

常識的な人から見たら「淫乱女」ではあるでしょう。

 

しかしルールをけとばすのは、逆に「進歩的」なことに対してもおなじです。

内縁の妻がいた大杉栄は、次のような「自由恋愛の掟」と称する条件を持ち出して野枝と付き合おうとします。

1 お互いに経済上独立すること

2 同棲しないで別居の生活を送ること

3 お互いの自由(性的すらも)尊重することというような条件を持ち出してきます。

しかし、野枝はこういうルールもぶっ壊すように「わがまま」に大杉と暮らしていくのです。

まさにアナーキー。

私などは「奴隷根性」が染みついてしまっていて、ボスに「だめ」と言われたらずっとそのとおりにするタイプなので「かっこいいなあ」と思うしかありません。

 

栗原さんは最後にこういいます。

 いま野枝が生きていたら、なんというだろうか。おそらく、むかしとおなじことをいうだろう。もしも家の呪縛にとらわれているのなら、自分の身がみえなくなるまで、真っ暗な闇へと突っ走っていけ。逃げろ、戻るな、約束まもるな。そして好きなだけ本をよみ、好きなだけうまいものを食って、好きなだけセックスをして生きるのだと。もしかしたら、そんなことをいっていると、いやいやそれじゃ生きていけなくなるよというひともいるかもしれない。でも、野枝だったらこういうだろう。落ち着いてまわりをみてください、だいたいなんとかなっているでしょう。無政府は事実だと。貧乏に徹し、わがままになれ。友だちがいれば百人力。あの友だちがいれば、これもできる、この友だちがいれば、あれもできる。いざとなったら、なんとでもなる、なんでもできる。汝、中心のない機械になれ。それをさせないなにかがあるのなら、いつだって米騒動だ、借家人運動だ。乞い願うものにはあたえられず、強請するものには少しくあたえられ、強奪するものにはすべてをあたえられる。村に火をつけ、白痴になれ。ひとつになっても、ひとつになれないよ。はじめに行為ありき。やっちまいな。

伊藤野枝が憑依しています。

この檄文に、つい「やっちまう」気になります。

評伝なんて、どんなに取材をしても最終的にバイアスがかかるのに違いありません。

ならば、憑依されたほうが勝ちなのです。

この文体を受け入れられれば、ぜひ読んでもらいたい。

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