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『古事記を読みなおす』

三浦佑之

古事記については以前橋本治訳のものを読んだことがある。
また、本書の著者による『口語訳古事記』も買ってあるが、まだ読んでいない。
戦後の教育を受けている者としては神話についての常識がなさ過ぎることを痛感している。
あまりにも敗戦による反動が大きすぎたのだろう。
今さらだが、何回か古事記を私の身体に入れてやる必要がある。
人がどこから現れ、死後どこへ向かうのか、というアポリアについて最初に回答を与えたのが神話であり、次に宗教が現れたと、竹田青嗣も何かの本で言っていた(その後が哲学)。
日本の神話についてきちんと知っておくことは、これから徐々に衰えていく自分自身の人生について考えていく上でも参考となるはずである。後付けだが。
さて、そもそも古事記と日本書紀の関係についてよくわかっていなかった。
古事記の方が面白そうで、日本書紀の方は堅苦しい、みたいなイメージ程度しか持ってない。
この本で、出雲神話についてきちんと書かれている古事記に対して、日本書紀では出雲神話についてはほとんど触れられていないと言うことを初めて知った。
橋本訳で古事記を読んだ際、出雲神話は実際のどのような事件をもとに書かれたのだろう、と空想していたのだが、「出雲神話が律令国家の手になる机上の神話だという津田左右吉以来の認識は間違っていると私は考えています」とあるので少しびっくりし、出雲神話が机上の神話だ、という常識すら知らなかった自分にがっかりもした。
トロイとシュリーマンの話にあるように、神話というのはそんなに嘘話だけではないと思っていたので(シュリーマンが若干怪しげな男だったのはまた別の話)。
出雲神話をある程度事実を反映した話だと考える立場の著者はこのように考える。

 歴史的な事実は度外視して言いますが、出雲の神々の活躍を語る神話と出雲の神々の系譜とを用いて古事記が語ろうとしたのは、出雲世界の強大さだと思います。もっと言えば、地上を最初に支配したのは出雲の神々であったと言うことが主張されているとしか読めません。

 

 過去を羅列する古事記に対して、日本書紀は、国家の時間軸の上に過去を並べ替えていったのです。(中略)古事記と日本書紀との、こうした歴史認識の違いをもとに考えると、律令制古代国家の正史であろうとする日本書紀にとって、古事記的な「出雲」は、過去の、棄てられた世界であったということになるはずです。つまり、律令国家にとっての出雲は、ヤマトを中心として整えられた五幾七道のなかの、山陰道に属する一つの国としてしか存在しないのです。(p74)

つまり、古事記と日本書紀の間には成立過程、目的が異なるため、現時点の国家として歴史を作る立場から都合の悪い出雲については部分は日本書紀では端折られている、ということらしい。
とても説得力のある見方だと思ったのだが、専門的に見るとどうなんだろう。
私にはわからないが、やはり出雲神話は事実の反映だと思う方が面白く読めると思う。
出雲神話だけではなく、古事記の終わりまでいくつかのトピックを取り出して読みやすく書かれているので、ある程度の全体像を得るにはかなりよい本である。
ここから著者の口語訳などに入っていこう、と思う。

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