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『できそこないの男たち』

福岡伸一

 

けっこうショッキングな本でした。
この本は生物の基本仕様は女性であって、男性は必要上その基本仕様をカスタマイズされたものである、ということを説明する。

 これまで見てきたとおり、生物の基本仕様(デフォルト)としての女性を無理やり作りかえた(カスタマイズ)ものが男であり、そこにはカスタマイズにつきものの不整合や不具合がある。つまり生物学的には、男は女のできそこないだといってよい。だから男は、寿命が短く、病気にかかりやすく、精神的にも弱い。しかし、できそこないでもよかったのである。初期の用途を果たす点においては。必要な時期に、縦糸で紡がれてきた女系の遺伝子を混合するための横糸。遺伝子の使い走りとしての用途である。

たとえば、アリマキという虫は基本的にメスだけで成り立っているそうなのだ。メスが生殖行為を行うことなく、ひたすらメスを生み続ける。

 メスのアリマキは誰の助けも借りずに子供を産む。子どもはすべてメスであり、やがて成長し、また誰の助けも借りずに娘を産む。こうしてアリマキはメスだけで世代を紡ぐ。しかも彼女たちは卵でではなく、子どもを子どもとして産む。哺乳類と同じように子どもは母の体内で大きくなる。ただし哺乳類と違って交尾と受精を必要としない。母が持つ卵母細胞から子どもは自発的・自動的に作られる。

 

 私たち有性生物は、パートナーを見つけるため、常々右往左往し、他人が見たら馬鹿げた喜劇としか思われようのない徒労に満ちた行為をさんざん繰り返してようやく交接に至る。首尾よく成功したとしてもそこで受精が成立する可能性はそれほど高くない。その後、産まれた卵あるいは子どもを保護し、生殖年齢まで育て上げるためには驚くべき時間とコストがかかる。アリマキたちにはこの一切がないのだ。

しかし、一年に一度だけ、秋にアリマキはオスを生み出す。

そしてメスはそのオスと交尾して卵を産む。

その卵から生まれるのはメスだけなのだ。
いったいなんのためなのか。
ひたすらメスがメスを生み続ける限り、アリマキAという個体はたくさんのAというコピーを産み、アリマキBはたくさんのBのコピーを作り・・・と続く。
環境になんの変化もなければ、数は増える一方で繁栄は約束される。
しかし、環境に変化がないとは誰にも言い切れない。
環境が大きく変化してしまったとき、それまで繁栄してきた個体たちはその変化に対応できず一気に全滅するかもしれない。
一年に一度、オスがメスと交尾をして、結果的にメスが生まれるということはつまり個体A、B、Cの遺伝子をオスが橋渡ししてシャッフルする、ということだ。
個体Aから生まれたオスがBと交尾すれば、AともBとも遺伝子の内容が同じではない、シャッフルされた個体Cが現れる。
その個体がその後の環境の変化に対応できるのか、できないのかは誰にもわからない。

しかし、このシャッフルによってアリマキという種の中で多様性が確保されることになる。
人間は有性生殖しか行わないが、基本的なスタイルはアリマキと同じです、というのが著者の考え方である。

 

生命が出現してから10億年、大気には酸素が徐々に増え、反応性に富む酸素は様々な元素を酸化するようになり、地球環境に大きな転機がおとずれた。気候と気温の変化もよりダイナミックなものとなる。多様性と変化が求められた。
メスたちはこのときはじめてオスを必要とすることになったのだ。
つまり、メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜をときどき橋渡しする、細い横糸の役割を果たしているに過ぎない。生物界においてはふつう、メスの数が圧倒的に多く、オスはほんの少しいればよい。アリマキのように必要なときだけ作られることもある。
本来、すべての生物はまずメスとして発生する。何ごともなければメスは生物としての基本仕様をまっすぐに進み立派なメスとなる。このプロセスの中にあって、貧乏くじを引いてカスタマイズを受けた不幸なものが、基本仕様を逸れて困難な隘路へと導かれる。それがオスなのだ。
ママの遺伝子を、誰か他の娘のところへ運ぶ「使い走り」。現在、すべての男が行っていることはこういうことなのである。アリマキのオスであっても、ヒトのオスであっても。

こういう考え方を見せつけられると男女問わずカチンと来る人もいるだろうなあ、とは思う。

私はなんだか晴れ晴れとした気持ちになりましたが。
子孫もおらず、今後も生殖活動なんてものから縁遠かろう私は、生物学的にはこの世に存在する意義はない。
横糸になれないのだから。
はっきりとそう考えられることは、ある種すがすがしいことだと思います。
イロニーじゃなくて。
どこか曖昧に自分の存在する意味があるはずだ、なんてちょっとばかり「自分探し」を引きずっていたけど、完全に解き放たれたような気がする。
それにしても、福岡さんは文学的すぎる。
比喩を巧みに操る文章は詩人に近いかも。
科学者で文学者というのは最強だ。

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