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『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』

辻田 真佐憲 光文社新書

先日読んだ『中国では書けない中国の話』にもありましたが、現代の中国では出版、映画、新聞というメディアはもとより、インターネット上でも検閲がなされています。

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日本国憲法第21条では検閲の禁止が明記されています。
しかし、戦前には内務省などの検閲する部局が、新聞や出版物などを検閲していました(戦後もGHQによる検閲はありました)。
1928年から1945年にかけての日本の検閲の状況を、資料から読み解いていきます。

検閲と言っても、もちろん思想的なものばかりではありません。
例えば「エロ」は戦前からもちろんありました。
「風俗壊乱」としての検閲の対象。
実際に多くの文章が引用されていますが、なかなかのものです……
初期は検閲官が少なかったため、そういう類の本を読み続けて病気になり休職となった人もいたとか。
今でも都道府県には有害図書を規制する部署があり、担当者はずっとエロな本を読んでいるという話をきいたことがあります。

「検閲」というと、発禁処分にする、というイメージがあります。
しかし、実際には発禁処分にまでなるのはまれだったようです。
というのも、重い処分になると出版する側はもちろん、検閲する側もめんどくさい。
そこで事前検閲という、出版前の段階で検閲を受ける制度や、検閲基準を事前に出版社側に提示するいう手法を取っていたのだそうです。
検閲する側と、される側が「なあなあ」の関係になっていきました。
検閲される側は当然検閲する側に「忖度」することになります。
まさに「空気の検閲」です。

戦争の時代に突き進むにしたがって、検閲をする部局を飛び越して軍が出版社に直接圧力をかける、検閲する複数の部局がセクショナリズムに陥るなど、検閲の状況もぐちゃぐちゃになっていきます。

現代中国の検閲は露骨ですが、現代日本ではほんとうに検閲がないのでしょうか?
「忖度」はあらゆる領域で、いくらでもはたらいていそうです。
さらに辻田さんは、今後はAIによって検閲技術は磨かれていくのではないか、と少し暗い未来を展望しています。

とはいえこういう本にありがちな深刻なムードはなく、検閲官の悲哀なども描かれ、ユーモアもあふれた楽しい論考です。

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