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『さようなら、私の本よ!』

大江健三郎

 

大江健三郎は『ピンチランナー調書』を高校を中退してぶらぶらしているときに読んでから、新刊が出るたびに買って読み続けてきた小説家だ(ただし小説に限る)。
この本も三年前にすぐ買ったのに、まったく読めないまま今に至っていた。
ということで、大江さんの小説は久し振りに読んだんだけど、読みやすい。
もちろんずっと大江さんの小説を読み続けてきているので、慣れている、ということはあるけれど、昔よりも読みやすい文体になっているみたい。
それに、書くものが「小説」になるようにできているようだ。
志ん生が話すと「落語」になってしまうように(比喩がおかしいかも)。
あいかわらず私が読んだこともない詩や小説やその他もろもろの引用が散りばめられているけれど(それはそれでよいのだ)、物語としては「老人」の小説といいながら思いきり過激で、たぶん若い小説家でもこんなことは書けないな、というぶっ飛び方。
9.11のあとに国家にテロを計画する、ということを真剣に考え、実行していってしまうのだから。
あまりのぶっ飛びかたに最後はついて行けなくなったけれど。
『洪水はわが魂に及び』という大江さんの小説のパロディみたいに感じた(小説内にも『洪水は~』への言及はある)。
食べ物や酒について、あいかわらずおいしそうに書く人である。
ついでに思いついたこと。
私は通常「描写」というのをすっ飛ばして読んでいる。
ふつうの小説はこのセンテンス(パラグラフ)は風景描写、こちらは感情描写、こちらは会話、と分かれているんだけれど、この小説はその辺が渾然一体となっていて読みやすいのに描写もいつのまにか読まされている気がする。
検証してませんが。
文章を読む快楽、ということでは私にとっては屈指の小説家です。

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