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『若い読者のための短編小説案内』を読んでもう一度短編小説たちを読もうとする

村上春樹

これも再読です。

気持ちがいまいち乗らないときは村上春樹を手にする、というのが私にとって落ち込みを乗り切る方法のひとつです。

講義(授業)をもとにした話し言葉の文体で書かれたこの本は、村上春樹の肉声に近く、安心した気持ちですいすい読めました。
村上春樹が第三の新人の作家たちを中心とした短編をいったいどう読んだのか、ということが分かる本です。
対象となっているのは吉行淳之介『水の畔り』、小島信夫『馬』、安岡章太郎『ガラスの靴』、庄野潤三『静物』、丸谷才一『樹影譚』、長谷川四郎『阿久正の話』の6篇です。

以前、この本を読んだとき、対象となっている本のうち読んだことがあるのは庄野潤三だけ(それとてほんとうに大昔に、意味も分からず読み飛ばした)でしたので、古本屋などで買い集めたことを思い出しました。

しかし恥ずかしい話ですが、『樹影譚』以外は買い集めただけで実は読んでいない。

確か長谷川四郎の本は読もうと思って、挫折したのでした。

しかし、今回再読すると、やっぱりどうしてもこの小説たちを読みたくなる。

村上春樹の小説やエッセイというのは、その中で描写、言及されているものを体験したくなる、という不思議な力を持っています。

料理の描写で、ああ食べたいな、と思わせたり、音楽、私は特にクラシック音楽がまるで分かりませんが、エッセイで紹介したCDをつい買いそろえたりしてしまうのです。

たぶん、村上春樹が書く対象に対してほんとうに愛情を持っている、好きなんだと言うことがよく分かるからなのでしょう。

ただ、実際に私が同じ経験をしようとすると、さっきの長谷川四郎の本の挫折でもわかるとおり、なかなかうまくいかない。

これはおそらく私に本を読む際の注意深さ、もしくは心をオープンにする、といった力が不足しているからのような気がします。

あとがきで、この本の元となった大学の授業などで参加者に要求したことが書かれています。

 いずれの場合も、ぼくが主催者として参加者(学生)に要求したことが三つある。ひとつは何度も何度もテキストを読むこと。細部まで暗記するくらいに読み込むこと。もうひとつはそのテキストを好きになろうと精一杯努力すること(つまり冷笑的にならないように努めること)。最後に、本を読みながら頭に浮かんだ疑問点を、どんな些細なこと、つまらないことでもいいから(むしろ些細なこと、つまらないことの方が望ましい)、こまめにリストアップしていくこと。そしてみんなの前でそれを口に出すのを恥ずかしがらないこと、である。この三つは、真剣に本を読み込むにあたって、ぼく自身が常日頃心がけているポイントでもある。(「あとがき」)

二番目については、だいたいいつもそうしているつもりですが、一番目と三番目はほとんどできていません。

本は読み飛ばせばある程度結果はついてくる、といういい加減さが私にはあります。

しかし以前橋本治の読書の考え方でも感じましたが、もうこれから読める本というのも年齢ともに確実に減っていくわけですから、じっくりじっくり読んでいく、というスタンスに変えていくべきなのだろうとは思っています。

ところで、この本で参考になったのは、安岡章太郎の比喩について言及した部分です。

 比喩というのはごく簡単にいってしまえば、「他者への付託を通して行われるイメージの共有化」なのです。これは多くの人々がそろって指摘することですが、安岡氏の用いる比喩は非常にうまく痛快です。それはひとつの独自の世界を作り出し、読者を易々とその世界の中に引きずり込んでしまう。しかもそれは象徴とかメタファーとかではなくて、純粋に物理的なイメージです。ややこしいことは何も考えなくていい。読者はただ「はあ、なるほど」と感心してそれを受け入れればいいだけのことです。そして知らず知らずのうちに、読者は作者の提出する世界の中に引き込まれていってしまう。

村上春樹といえば、もちろん比喩を多用する作家です。

『スプートニクの恋人』ではたとえばこんな感じ。

「まだ眠いの?」
「もう眠くない」とぼくは目を開けて言った。
「元気?」
「元気だよ。春先のモルダウ河みたいに」

安岡章太郎よりはちょっとあえてずらしている比喩ではあるけれど、基本的に先に挙げた比喩の定義は村上春樹自身の比喩の説明でもあります。

比喩の効果については村上春樹の場合から考えてしまいがちです。

そうすると文章の表面的なかっこよさ、おしゃれさのために使われているような気がしていました。

しかし「他者への付託を通して行われるイメージの共有化」という、いわば基本に戻って考えた場合、小説の世界に引き込むための有効な装置なのだ、ということを自覚して読まないといけないな、という気がしました。

どうも文章の表面に流されて読みがちなので。
さて、今回再読して、特に読みたくなったのはその安岡章太郎と庄野潤三です。

表面上のコンサヴァティヴさと読み込んだときのラディカルさ、という落差みたいなものがとても気になりました。

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