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『誕生日の子どもたち』を読む

トルーマン・カポーティ 村上春樹訳

 

こんなに美しい小説が世の中にはあるんだなあ、とため息が出るほどだ。

カポーティは恥ずかしながらまだ読んだことがなかった。

『冷血』というノンフィクションを噂で聞いていたし、晩年のインチキくさいおやじの写真を見ると、どうも読む気がしなかった。

しかし村上春樹が影響を受けた小説家としてフィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァーと並んでカポーティの名を上げているのを見るたびに、いつかは読まなくてはいけない、と本を少しずつ集めてきた。
そして、この本から入った。

ああ、もっと早く読んでおけば良かった、と悔やまざるを得なかった。

 ここに収められたトルーマン・カポーティの六編の短篇小説は、それぞれに少年や少女の無垢さ=イノセンスをテーマにして書かれた物語である。

お読みになっていただければわかるように、そこに描かれたイノセンス=無垢さはある場合には純粋で強く美しく、同時にきわめて脆く傷つきやすく、またある場合には毒を含んで残酷である。誰もが多かれ少なかれ、人生の出だしの時期にそのような過程をくぐり抜けてくるわけだが、中にはわずかではあるけれど、成人して年を重ねてもその無垢なる世界をほとんど手つかずのまま抱え込んでいる人もいる。

トルーマン・カポーティはまさにそういうタイプの人であり、作家であった。(「訳者あとがき」)

私は、すでに無垢さを失ってしまっているから、リアルに描かれたこのイノセンスをテーマにした小説にここまで惹かれてしまうのだろう。

リアルすぎて、ほんとうにつらいくらいだ。胸が痛む、ってやつだ。
そして、その上に文章が美しい。

『無頭の鷹』で、イノセンスの化身のような不思議で、かつ恐ろしい女の子が出てくる。

彼女の描いた絵。

 修行僧のような着衣に身を包んだ、頭のない人物がみすぼらしい大型の衣装トランクの上に偉そうによりかかっていた。その女は片手に煙を立てる青い蝋燭を持ち、もう片手に金色の小さな檻をさげていた。彼女の切断された首は足もとに置かれ、血を流していた。この娘自身の首だったが、髪は長い。非常に長い。水晶を思わせるきかん気な目をした雪玉のように真っ白な子猫が、床に広がった髪の先を、まるで毛糸玉か何かのように、前足でいじって遊んでいた。緋色の胸と胴色の爪を持った無頭の鷹が翼を広げ、夕暮れの空のように背後を覆っていた。

そして彼女と暮らすことに耐えられなくなってしまった主人公の家に蝶が現れ、部屋に飾ってある彼女の絵とすれ違う。

 蝶は彼女の絵の上にふわりととまり、水晶の目の上を這って横切り、切断された首の上にリボン飾りのように羽を広げた。彼は娘のスーツケースをひっかきまわして鋏をみつけた。それで蝶々の羽を切ってしまうつもりだったが、蝶々はくるくると渦を巻いて天井まで上り、星みたいな格好でそこにとまった。鋏は鷹の心臓に突きささり、それからまるで貪欲な鋼鉄のくちばしのようにキャンバスを食い破った。硬い髪を切ったときのように絵の断片が床に舞った。彼は床に膝をついて、絵の切れはしをかきあつめ、それをスーツケースの中に放り込んだ。そしてふたをばたんと閉めた。彼は泣いていた。涙の粒を通して、天井の蝶々はずっと大きく見えた。鳥のように大きく、数も増えている。一群の黄色が軽やかにまばたきするように羽ばたいているのだ。その孤独な囁きは浜辺を洗う波に似ていた。そして彼らの立てる風は部屋全体を虚空に向けて吹きとばしてしまった。

書いているだけでうっとりしてしまう文章だ。

映像的な文章だし、比喩も美しい。

もちろん訳者の文体もあるとは思うが、訳者によれば原文もとても美しいらしい。

いつかは原文でも読んでみたいものです。

今読めないならこの先も読めないような気はしますが。

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