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『テロルと映画 スペクタクルとしての暴力』

四方田犬彦  中公新書

 

「テロル」と「映画」という言葉で思い起こすとしたら「9.11」と『ダイ・ハード』になってしまいます。

現在から思い起こすと、どちらが先に見た映像だったのか、分からなくなっています。

 

四方田さんは「テロリスムが人間に向かって何かを訴えるときには、つねに映像メディアを媒介とし、スペクタクルの形態をとる」といいます。

9.11のように報道で世界に流れることが典型的ですが、イスラム国が自ら映像を流すというやり方も増えています。

 

また、「テロリスムの印象がつねに映像によって大きく影響され、固定されてしまうため、人は現実に生起した事件と映像との間に境界線を引くことができなくなり、虚構の映像をしばしば事件の真実だと記憶してしまう」ともいいます。

私のような記憶力が薄弱なものに限らず、リアルと虚構の境目が失われていきます。

 

テロリスムと映画には相当の親和性があります。

四方田さんはテロリスムを描いたフィルムを次のA〜Dの四つに分類します。

A 民族国家成立時に実際になされたテロリスムを〈原初の殺人〉として神話化するフィルム

B テロリスムを社会の秩序と安全を脅かす悪とみなし、その駆逐と排除の過程をエンターテイメントとして提示するフィルム

「スペクタクルとしての暴力という点で絞ってみるならば、世界の映画史にあってテロリスムは社会が唾棄すべき悪の権化として、アクション映画に波瀾万丈の物語を提供してきた」

C 懐古趣味

D テロリスムの不可能性と不可避性を同時に見つめる、極めて真摯な意図の元に製作されたフィルム。テロリスムという限界的行為をけっして最初から悪として排除せず、その動機や周囲の状況、事後性の問題に分析的な検討を加えていく。

現代日本で流通するテロリスムを扱う映画、ドラマはほとんどがB(ないしA)ではないでしょうか。

日本人はふだんはテロとは考えませんが、「忠臣蔵」や「新撰組」を扱うものはA、Cかもしれません。

もちろん『ダイ・ハード』はB。

私は、B以外にテロリスムを描く方法があることすら気づいていませんでした。

四方田さんは数少ないDのカテゴリーに属する作品を紹介し、解説していきます。

 

紹介される映画の中で、唯一ブニュエルの作品は観ています。

しかし、ブニュエルの映画がテロルを主題としたものだと考えたことはありませんでした。

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インドネシア映画『天国への長い道』、パレスチナ人監督ハニ・アブ・アサド『パラダイス・ナウ』、テロリスムを主題として取り組んだブニュエル、日本赤軍と若松孝二、ドイツのファスビンダー。

いずれの映画も、テロリスムを簡単に悪と決めつけないようにしながら、いかにテロリスムと向かい合っていくべきなのか苦闘するさまが描かれます。

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中でも、イタリアのマルコ・ベロッキオが「赤い旅団」による元首相アルド・モロを誘拐した事件を題材にした『夜よ、こんにちは』論は刺激的です。

実際あった事件をなぞるだけではテロリスムについて語れない、と考えた作り手。

彼がテロリスムを映画に語らせるために練り上げた入念なたくらみはどのようなものだったか。

それを紹介する四方田さんの文章だけでくらくらしました。

ぜひ観たい。

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考えてみれば、この時代にテロリスムについて深く考えずに安穏としているほうがどうかしているのかもしれません。

日本からも新しいテロリスム映画が生まれることを期待します。

ところで、本書ではそれぞれの映画について次のようなスタンスで論じています。

まず、本書では一本のフィルムを紹介するにあたって、基本的に物語の結末もきちんと書き記しておく主義を採用している。映画はネタバレになれば、もう見る愉しみがなくなってしまうという昨今の愚かしい思い込みとは別の地点に立って、読者に映画の本当の面白さを体験してもらいたいからである。優れたフィルムは、一度見ただけでは絶対に理解できない。幾たびも繰り返し見直し、筋立てなどがどうでもよくなったところにまで到達して、初めて監督の意図したメッセージを受け取ることができるのである。ネタバレを云々する映画の見方は、最も幼稚な見方であることを確認しておきたい。

耳が痛いです。

紹介された映画はどれも「ネタバレ」したところでつまらなくなる映画ではなく、むしろ見たくなるものばかりでした。

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